スタッフ紹介

日高 裕子

日高 裕子
YUKO HIDAKA

ポジション INTI 新宿 Top Designer
毛髪診断士/ヘアケアマイスター
血液型 A型
趣味 お酒、サウナ、旅行、神社巡り
自分の悩み 涙もろい
自分にキャッチ
コピーをつけると
真面目な自由人
他のスタッフからの印象 天然

幼少時代

宮崎県のごく普通の家庭に三人兄弟の末っ子として生まれた。私は両親にも二人の兄にも溺愛されていた。二人の兄がいるからこそ女の子らしく育てたいと思った母は私と話すときには言葉遣いにも気をつけていたくらいだ。毎日違う髪型に髪を結んでもらい保育園に通わせてもらった。しかし、期待通りにはいかない。二番目の兄の影響で"ひょうきんたれ" "おてんばさん"と言われるような人前で面白いことをするのが好き、男の子も追いかけ回すような女の子だった。家族旅行のときもお布団の上で転がりまくって遊んでいたら腕にヒビがはいったこともあった。(笑)川で泳いだり、父と兄の釣りに付き添ったり、カブトムシをとりにいったり豊かな自然の中で過ごした。そんな中でもおままごとが好き、お留守番するときは母のロングスカートを引っ張りだして着てみたり、口紅を塗ってみたり、女の子らしい一面もあった。その頃から美容に興味があったのかもしれない。

そんなある日、父からパチンコで勝った景品のミニサイズの電子キーボードをもらう。それからピアノに興味を持つ。私は音楽が小さい頃から好きだった。保育園のときも先生の隣で一緒にキーボードを弾いたり、盆踊りやお遊戯会のダンスも覚えが早かったらしい。家でも割り箸に包装するときにかけるリボンをテープでとめ、新体操のリボンのマネをして踊って遊んでいた。そして五歳のときに衝撃的な出会いがある。テレビを観ていたら、出てきた彼女に釘付けになった。可愛くてかっこいい彼女を一瞬で好きになった。安室奈美恵さんだ。初めて買ったCDも安室奈美恵さんのCDだ。引退を発表した日は号泣...でも引退した今も変わらず大ファンだ。

学生時代

従兄弟もみんな年上のお兄ちゃんばかりで初恋も従兄弟のお兄ちゃん。祖父母にも可愛がられ、学校が休みの日もよく祖父母の家にいって遊んでいた。自転車に乗れるようになったのも気長に付き合ってくれた祖父のおかげだ。小学校に入学してすぐピアノを習い始め高校二年までの約十一年続けた。厳しい先生だったが、私は練習をほとんどしないので上達しない。それを見破りながらもなぜかすごく可愛がってくれた。初めての美容室デビューは小学校一年生。母に連れられて美容師のお姉さんから髪を切ってもらった。そんな美容師のお姉さんの姿をみてカッコいい!美容師さんになりたい!と思った。

学校から帰るなりランドセルを置いてすぐ友達と遊ぶ毎日。成績は言うまでもない。好きな教科は音楽と家庭科だった。中学生では弓道部に入るが途中から帰宅部のエース。学校から帰ってはすぐに遊びにいっていた。中学生からメイクに興味を持ち始め、100円ショップなどでアイラインやマスカラ、チーク、アイシャドウなどを買い休みの日はメイクして遊びにいっていた。母からピアスは二十歳からと言われていたが、中学卒業後すぐにピアスをあけた。高校では部活に入るつもりは全くなかったが、部活動紹介があり、そこでみたダンス部の先輩の姿に憧れ即入部した。小さい頃からダンスが習いたかったため毎日が楽しかった。それからダンスも習いだし、放課後は部活、ダンス、ピアノそれに加えスーパーのレジ打ちのバイトもしていたので忙しい高校時代を過ごした気がする。ダンスも10年程習っていた。

高校卒業後は地元を離れて美容室で働きたいと思っていたため、全国に店舗のある美容室に面接を受け受かるが、両親に地元を出ることを心配という理由で反対され、小学校の頃から通っていた地元の老舗美容室で働くことになった。

修業時代

入社したサロンは当時で約40年以上続く老舗美容室。サロンの決まりでお店の寮にはいることになる。18歳から20歳までは門限もあった。
入社して間もなく泊まり込みで早朝から夜中まで3日間の新人の研修に行く。九州各地から新人美容師アシスタントが集まっており、そこで他県の新人の美容師さんたちの友達もでき、いい経験になった。

サロンで働きながら通信の美容学校に通っていた。地元では有名な老舗美容室だったため毎日忙しく老若男女たくさんのお客様がいらっしゃった。中には100歳を過ぎたお客様もいらっしゃった。車椅子の方もいらっしゃれば耳の不自由な方もいらっしゃる。手話で少し会話したら喜んで頂いた経験があった。

私は高校のときに福祉コースを選択して、車椅子の使い方や手話を少し勉強していた。まさか美容室で役に立つことがあるとは思ってもいなかった。シャンプーのときもお客様に「あなたリズム感があるのね」と言われたことがあり、ピアノの先生に練習しない私が唯一褒められていたのがリズム感だった。その方もピアノバーのオーナーの方でピアノもこんな風に役に立つことがあるんだと思った。そんなことを通して人生って無駄なことってないんだなと感じた出来事だった。

寝ても覚めても国家試験の勉強と練習の日々、学生の頃よりはるかに勉強した(笑)国家試験にも無事に合格し、美容学校を卒業。一緒に入学した通信制が卒業するときには入学したときの半分以下くらいの人数まで減っていた。憧れの美容師にやっとなれた喜びと共に、これからが始まりだとも思った。それからはカットの練習の日々。県内外のいろいろな講習にもいきスタイリストデビューを目指した。

スタイリスト時代

スタイリストになり自分のお客様も少しずつ増えてきた。年々仕事が好きになっているのが、わかった。婚礼の仕事もたくさんさせて頂いた。県外にも講習を受けに行ったりして勉強していた。お客様から喜んで頂けることが自分の喜びでやりがいだった。サロンの店長は毎年ロンドンに勉強に行く。店長から教わるカットは本当に勉強になった。その店長の長年の友人がロンドンで女性美容師として働いており、その方の繋がりで世界的有名デザイナーのセレモニーのヘアメイクなどもさせて頂いた。すごい経験をさせて頂き感謝している。

私は小さい頃からコンプレックスの塊で自分を変えたいと思っていた。髪型やメイクをすることで変化する喜び、少しでも自信が持てたり気持ちが前を向く感覚。人は外見ではない。でも髪型が気にいったり、メイクが上手くいったらその日一日の気分まで変わる。気持ちまで変わるのだ。そんな感動を届けれる、コンプレックスを軽減したり解消できる美容師になりたい。もっとお客様に喜ばれる仕事がしたい。技術を磨きたいという思いがどんどん増していく。昔からの上京したいという思いがずっと頭の片隅にあったが、いや、頭の片隅に追いやっていた。の方が正解かもしれない...このままじゃいけない。私は上京することにした。周りの人はみんな応援してくれ背中を押してくれた。十一年勤めたサロンのオーナーも店長もスタッフもみんな「いってらっしゃい」と背中を押してくれた。

INTI時代

無職の状態で物件探し、とりあえず東京都に住所がないとスムーズにいかないと思いすぐ住まいを決めた。ネットの求人から気になったサロンにアポを取り十数件見学に行った。そして最後に行ったサロンがINTIだった。 何度経験しても扉を開けるときが一番緊張する。宮本氏は笑顔で迎えてくれた。 そして私の話を真剣に聞いてくれた。そしてINTIに対しての自分自身の想いを語ってくれた。INTIのコンセプトである『ヘアデザインで人生を変える』その言葉に出会ったとき、自分と重なった。私がしたいことはこれだ!と。このタイミングで上京したことは間違いではなかったんだと思った。
INTIに入社してからは目まぐるしく時間が過ぎている。沢山のお客様との出会い、 いろんな経験をさせてもらい、私自身も変化している。 コンプレックスは誰にでもあると思うが、そのコンプレックスに対する悩みの深さにはかなり個人差があると思う。 私にも強烈なコンプレックスがある。でも今、お客様の悩みと向き合う仕事をさせて頂いて、自分自身のコンプレックスも悩んだことも苦しかったことも、無駄ではなかったと思える。違う悩みだとしても本気で悩む人の気持ちがわかるから。
本気で悩みと向き合っている方の力やよりどころになりたいと思う。

こうして新しい場所や環境で勉強できること、新しい出会いや経験、なにもかもが新鮮で刺激的だ。日々色々なことがある。でも、必要とされる喜び、お客様の喜んでいる笑顔、温かい言葉に本当に美容師として生かされている。
心から感謝している。
人生は一生勉強。 技術はもちろん、人としても女性としても美容師としても、諦めずに謙虚に一歩一 歩前進していきたいと思う。

INTI report - 日高 裕子

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