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スタッフ紹介

宮本 洋平

宮本 洋平
YOHEI MIYAMOTO

ポジション INTI 代表
血液型 A型
趣味 仕事
自分の悩み 後先考えず行動する
自分にキャッチ
コピーをつけると
薄毛デザイナー
他のスタッフからの印象 せっかち

幼少時代

私は兵庫県伊丹市に4人兄弟の長男として生をうけました。名前の洋平は太平洋のように広く大きな人間になって欲しいという思いから名付けたそうです。父は公務員ということもあり昭和気質の厳格な父親でした。長男という性格からか近所のちびっ子たちを引き連れて遊ぶようなリーダー気がありました。しかし無骨な外見とは裏腹に実は運動はめっぽう苦手で、絵や漫画を描いたりする方が好きな男の子でした。特に球技は全くダメで、ラグビーを少しかじったこともありましたが、ボールを一度も触らないまま試合が終わることもありました。というより、いかにボールが私に渡らず試合が終わるかに全力を注いでいました。

そんな運動音痴な私でも唯一続いた習い事が「剣道」と「書道」でした。元々柔道家の父は、私に強く、たくましく育って欲しいという願いから6歳の頃、私を近所の剣道少年団に入門させました。ちょうどその頃「六三四の剣」という漫画が流行っていたこともあり私は喜んで通っていました。こう見えて根が真面目な性格の私は、剣道が性に合ったのか高校卒業までの12年間ひたすら剣道を続けることになります。中学、高校と剣道部の部長を務め、数々の大会で優秀な成績を収めるようになりました。また、6歳の時に剣道と同時に始めた書道も中学卒業までの9年間続け、こちらも様々な賞をいただきました。

学生時代

小学校6年生の時に私の人生に多大なる影響を与える出会いが訪れます。それは「THE BLUE HEARTS」との出会いでした。それまで微塵も音楽に興味がなかった私でしたが、初めて彼らの音楽を聞いた時、12歳の私の小さな心臓は急にドクンドクンと音をたて、居ても立っても居られない。そんな強い衝動にかられたのを今も強く覚えています。友達に録音してもらったカセットテープを何度も再生と巻き戻しを繰り返し、歌詞を懸命に聞き取り、紙に書き出していました。しかしこれから反抗期を迎える小学校6年生の男の子にはあまり良くない出会いだったのかもしれません(笑)。案の定、歌詞の意味を履き違え「勉強は必要ない」「大人になんかなりたくない」といったド定番の青春時代に突入します。

中学生の頃、もうすでに身長が170センチと大柄だった私は、大して揉めることもなく見た目がイカついというよくわからない理由から、ケンカっ早いヤンチャな子達を相手に「不戦勝」が続く様になります。この年代は面白いもので、私が温厚であればあるほど「あいつを怒らすとヤバイ」といったよくわからない噂が広まり不戦勝記録に拍車がかかるのです。

時は過ぎ、そんな少年も高校生になり3年生の時、今後の進路を決めなければならない時期に差し掛かっていました。芸術大学へ進学。美容学校へ進学。調理師学校へ進学。このうちのどれにしようか悩んでいましたが、学費や時期のこともあり大阪の美容学校への進学を決めました。公務員になって欲しかった父親は猛反対でしたが。。そして高校卒業間近の1995年1月17日。ブルーハーツとの出会いに続く、私の人生観を変える2度目の大きな出来事が起きます。阪神・淡路大震災です。

幸いにも家族や友達は皆無事でしたが、その出来事は私の価値観を大きく変えるものとなりました。高校も無事卒業し、大阪梅田のベルエベル美容学校に進学しました。そこでは同じ美容師を志す大切な仲間たちと出会い、あっという間の非常に充実した1年間でした。

修業時代

卒業後、就職先に選んだのは兵庫県芦屋市にある「オペラモーヴ」という地元で人気の有名サロンでした。入社してからは貪欲に練習に励みました。手先が元々器用だったこともあり技術はどんどん上達しました。2年ほど経った頃からさらに技術を向上させたいという思いから東京への上京を意識し始めました。思い立ったら即行動派の私は、すぐに上司に東京に行きたい旨を伝えました。上司は大いに賛成してくれ背中を押していただけました。翌月にサロンを辞め、上京するための資金を稼ぐため昼夜問わずアルバイトに勤しみました。

半年後、上京資金もようやく溜まり始めた頃、就職先を探すため東京に出ました。とりあえず日本一の美容院で働きたい!という大雑把な想いだけがあり、その時偶然雑誌で見かけた表参道に店を構える「ヘアーディメンション」という美容院の門を叩きます。「ヘアーディメンション」は美容師の間では知らない人がいないくらいとても有名な美容院でした。東京に向かう途中に電話をかけ「これから面接をしてほしい」と伝えましたが、担当者不在なので「明日なら大丈夫」と返事をいただきました。安宿とは言え、ホテルに泊まりながらの就職活動だったのでなるべく早く決めたいのが本音でした。そして翌日の面接当日、面接官に「私を落としたら後悔しますよ」「急ぎなので今日中にお返事ください」と啖呵を切ったことは今でもはっきり覚えています。その日の夜に、合格の連絡をいただきました。無謀で根拠のない自信もバカにできません。晴れて「ヘアーディメンション」の一員となった私はいよいよ東京に上京する事になります。23歳の時でした。

業界は空前の美容ブームの波が押し寄せ、表参道は美容師の全国大会が行われているかのような熱気でした。それはアシスタントの私にとって最高の環境でした。自分なんかよりすごい人がゴロゴロいる街、それが表参道・南青山といわれる地でした。「この中で1番になってやる!」そんな何の1番を目指しているのか自分でもわからぬ強い想いだけで朝は誰よりも早く練習を始め、夜は誰より遅くまで残り練習をしました。努力の甲斐あって、1年ほどでアシスタントのリーダーに、そして通常3~4年かかるスタイリストデビューも2年で果たせました。アシスタント時代は桜井章生氏(現・BEACH代表)に従事しサロンワークはもちろん、タレントや女優のTV局でのヘアメーク、業界紙の撮影など様々な現場を数多く経験します。

スタイリスト時代

スタイリストになってからはサロンワークを中心に、ヘアメイクの仕事が増えてきます。初めて私がメインでヘアメイクを担当したのは当時avexに所属してい「dream」という女性グループでした。私はヘアメイクの仕事を通じてアーティストがステージにかける想いや本番を迎えるまでの苦悩や挫折、それを乗り越えていく弛まぬ努力、そしてそんなアーティストのステージを本気でサポートするレーベルの方や照明、音響の方々など。様々なプロフェッショナルな方々の一流の仕事を目の当たりにしチームとして共にすることができました。「瞬間に全てをかけろ」アーティストが本番前に叱咤されていた言葉が今も私の心に強く残っており、今もお客様の髪にハサミを入れる前には必ず思い出す大切な言葉です。その後もヘアメイクの幅は広がり多くの有名人を担当するようになりました。

ヘアーディメンションに勤め始め11年が経った頃、同期が原宿に美容院を出店するのでサポートして欲しいという話があり、美容院の立ち上げを学んで見たいという思いからディメンションを退店します。2年間美容院の立ち上げ、経営を学んだ2014年2月。女優やミュージシャン、タレントなどのヘアメイク業務を中心とする「株式会社インティ」を設立、独立することになります。

設立当初、ヘアカットは「atreve」という原宿の面貸し美容院の一角を借り、私のお客様だけを担当させていただいていました。この頃は仕事のほとんどがヘアメイクで自分が美容院を出店することは全く考えていませんでした。美容師を長く続けると自分の得手不得手が見えてきます。激戦区のこの場所には私より女性の髪をカットすることが上手な美容師が多くいました。自分は特に群を抜いた技術やセンスを持たない一般的な美容師だと思っており、そんな猛者達をライバルに美容院を出店しても勝算は1%もないと感じていました。しかし、ある男性のお客様からいただいた一通の手紙により自分以外誰にも真似のできない特技があることに気づかされます。

その手紙には「自分はずっと薄毛にコンプレックスを持っていて、外出時はずっと帽子をかぶっている。髪もずっと自分で切っていた。薄毛のことを考えすぎてどうしたら良いかもわからず会社も休職する始末だ。」と言った内容でした。しかしその後こう続いていました。「宮本さんに切ってもらってから、帽子を被らずに外出できるようになった。職場にも復帰できた。宮本さんのカット技術はうつ病をも改善するほど素晴らしいものだ。」と。私はその手紙をいただいた時、お客様の気持ちを思うと涙が止まりませんでした。実は私自身が若い頃から薄毛に強いコンプレックスがあったため痛いほど気持ちがよくわかりました。この手紙が「INTI」立ち上げのきっかけとなります。

INTI時代

薄毛の男性のヘアデザインに関しては誰よりも自信がありました。自身のコンプレックスでもあったため、切られたくないところ、切って欲しいところが手に取るようにわかりました。それはヘアデザインだけでなく、濡れた髪でそのまま待たされる辛さや、鏡ごしに他の女性客と目が会う気まずさなど、美容院の苦痛なシーンが事細かく理解できました。当時、ヘアメイク中心だった私にはお店を出店できるほどのお客様はいませんでした。しかし、私にしか提供できない技術やサービスそしてそれを必要とするニーズがきっとあると思い、2016年3月21日 満を辞して渋谷・神南に『ヘアデザインで人生を変える』をコンセプトに掲げる薄毛に悩む方のためのヘアサロン「INTI」をオープンします。

薄毛のコンプレックスは当事者以外には決して理解できない程大きく深刻なものです。薄毛のことが頭から離れず、薄毛のせいで自信を失くし、薄毛の相談をする相手もおらず、全てに前向きな気持ちでなくなっている。そんな方達が何かのきっかけでINTIを知り、勇気を出して店を訪れ、髪を切った帰り道。

なんか少し肩の荷が降りたような。。。
なんか少し足取りが軽いような。。
なんか明日からが楽しみなような。

もしそんな風に、薄毛へのコンプレックスをほんの少しでも軽減するお手伝いができたのなら、そんなに嬉しいことはありません。なぜなら『ヘアデザインで人生を変える』。それが私の美容人生における最大の使命であると強く感じているからです。


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