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スタッフ紹介

阿部 由菜

阿部 由菜
YUNA ABE

ポジション INTI 渋谷 Designer
血液型 O型
趣味 お散歩 食べること ヘアケア商品集め
自分の悩み 楽観的なところ
自分にキャッチ
コピーをつけると
マイペース人間
他のスタッフからの印象 喜怒哀楽がはっきりしてる

幼少時代

私は、新潟県上越市で2人姉妹の次女として産まれ育ちました。
新潟は四季がはっきり感じられる環境で、上京するまでは田舎が嫌だなぁと思っていましたが、今となってはすごく良い環境で育ったと実感します。
実家の周りは田んぼと畑に囲まれていて、夏は暑い中、田んぼの周りを走り回って虫取りをしたり、祖母の畑のお手伝いをして遊んだり、冬は雪に囲まれて、かまくらや雪だるまを作ったり、休みになると毎週のようにスキーに行ったり、ソリをして遊んだりと外で遊ぶのが大好きな活発な子供でした。
当時は走る事や運動する事が好きで、課外活動でも陸上をしたり、マラソン大会でも先頭グループとして走っているほどでした。
そして、今も昔も変わらないのは食べることが大好きなところです。 昔から、ごはんはたくさん食べるし、おやつもたくさん食べていました。
特に、祖母の畑で採れる、野菜は最高に美味しくて、きゅうりやトマト、とうもろこしなど夏は特に採れたての野菜をモリモリ食べて、育ちました。都会では味わえない経験だなと大人になると思う事がたくさんありました。


ひたすらに外で遊んでばかりの幼少期で、母に何か習い事をするかと言われても、興味の持てるものがなかなか見つからず、当時唯一興味を持てたのが英会話でした。
ですがそれもなかなか身が入らず、中途半端になっていた時、母が始めた"よさこい"と出会いました。
始めは、派手な衣装やメイクに髪型で、人前で踊るなんて観てるのは楽しいけど、自分がやるなんて恥ずかしいと思っていました。
ですが、イベントなどを観に行っているうちに、同世代の女の子や男の子が踊ってる姿を観て、かっこいい!と思い、わたしもよさこいを始めることになりました。

学生時代

よさこいを始めてからは、毎週の練習会や、月に何度かあるイベントがわたしの趣味になり、楽しみの一つになりました。
人前に立つ事が苦手な私が、大勢の人の前で笑顔で踊ることが出来るようになっていたことにびっくりしました。
イベントは全国各地で開催されていて、母といろんな場所に行ったのもとても思い出です。
よさこいのヘアやメイクはとても華やかで、他のグループを観るのもとても楽しかったのを覚えています。
今思い返せば、中学校に入るまで続けたよさこいでの経験がヘアやメイクに対して興味を持つきっかけだったのかもしれません。。。

中学校に入学してからは部活と勉強の毎日で、これと言った趣味もなく平凡な毎日でしたが、中学2年生の時に、わたしが美容師になるきっかけとなった出来事が起こりました。
小学生の時から癖っ毛の髪の毛がコンプレックスだったわたしは、学校に行く時は髪の毛を結んで目立たないようにしたり、休みになると姉のストレートアイロンを借りて髪の毛をセットしていました。

そんな中で、修学旅行という一大イベントがあり、髪の毛をどうしようかととても悩んでいました。
ストレートアイロンは持っていけないし、友達にドライヤー後の癖っ毛の状態を見られるのがとても恥ずかしいと思っていたからです。
そんな時に母に連れられて美容室へ行き、当時担当してくれた美容師さんに相談したところ自然に仕上がるストレートパーマをしてもらうことに。。。
施術後、鏡を見せてもらい、髪の毛を触ったときにほんとに自分の髪の毛なのかと、とても驚きました。あの時の感動は今でも忘れられません。ずっと髪の毛の悩みを分かってくれていた美容師さんだからこそ、相談できたし、提案してくれたんだと思い、本当に感謝しています。
それからの私は、髪の毛で悩むことがほとんどなくなり、高校生活を送っていました。
高校3年生のとき、進路を決めなくてはいけなくなり、わたしがやりたいこと、なりたい職業とは何なのか、すごく悩みました。
そんな時に、あの、美容室での感動を思い出したのです。元々、母や姉の髪の毛を結んだり、触るのが好きだったこと、そして、わたしも髪の毛で悩んでる人を笑顔にしたい!悩みを解消したい!と思い、美容師を志すことに決めました。

修業時代

美容師になるなら、東京で最新の技術や情報を学びたい!と思い、東京の美容専門学校に行きたいと両親に頼み込み、資生堂美容技術専門学校へ入学しました。
専門学校では、実習が多く、ヘアやメイクなど好きな事を学べる毎日がとても新鮮で楽しかったのを覚えています。
専門2年生の春、就職活動が始まり、東京の美容室を全然知らない状態で会社説明会や就職フェアにたくさん参加し、色んなサロンを見ていました。
そんな中で、表参道・原宿や銀座に店舗を構える、有名サロンの説明会に参加し、美容師の基盤をつくるのはカリキュラムのしっかりしたサロンがいいと考え、面接を受けました。倍率が約10倍の中で、なんとか合格をする事ができ、2014年4月、私の美容師人生が、スタートしました。

そこから怒涛のアシスタント時代を過ごしました。
一年目の頃は毎日、朝は誰よりも早く行き、掃除・練習、夜も最後まで残り、掃除・練習の毎日、終電を逃して歩いて帰る事もありました。 二年目、三年目になると、当時の店長の専属アシスタントになり、ヘアカタログや雑誌の撮影、セミナーのアシスタントで全国各地や海外への出張、忙しい毎日のサロンワーク。。。
特に、一泊三日で行った、シンガポールでの弾丸出張はとても良い思い出です。
セミナー後、飛行機までの少しの時間で観光をし、絶対また旅行で来たい!と心に誓いました。
この2年間は本当に濃く、大変で、辛かったこともたくさんありましたが、他では出来ない経験をたくさんさせてもらいました。

そして、アシスタント時代にはシャンプー・カラー・パーマ・カットなどでたくさんのモデルさんたちに御協力いただき、200人カットモデルさんをやらせていただきました。
そして、スタイリストになるまでの最難関のデビューチェック。。。
本当に厳しく、毎日朝から早く行き、夜は終電まで、そしてお休みの日もお店に行き、練習しました。
それでもなかなか合格がもらえず、3回目のチェックでようやく合格をもらうことができました。
そして、スタイリストとしての日々がスタートしました。

スタイリスト時代

スタイリストデビューの初日、初めてのお客様はアシスタントの時からカットモデルとして来てくださっていた方でした。
いつもカットさせていただいていたのですが、スタイリストとして料金をいただいてカットをするという責任の重さを感じ、少し手が震えながらカットしたのを覚えています。
新潟の両親や姉、友人や、カットモデル時代からのお客様と、たくさんの方にご来店していただき、スタイリストデビュー後の目標を達成することが出来ました。
またアシスタント時代に仲良くしてくださっていた、先輩のお客様もお祝いにと駆けつけて下さった方もいて、本当に嬉しかったです。
その時に、本当にたくさんの人に支えられて私はスタイリストになることが出来たんだ!と改めて実感しました。

フリーのお客様や、ご新規のお客様を担当させていただくようになり、徐々に指名してくださるお客様も増えていき、「ヘアスタイル周りの人から好評でした!」や「髪の毛が扱いやすくなりました!」などお客様から嬉しいお声をいただけるようになりました。
わたしが美容師を目指した理由の、「ヘアスタイルでその人の悩みを、少しでも軽減して笑顔になってほしい!」ということが、少しずつ叶えられてきたのかなと思いました。

ありがたいことに、予約をたくさんいただけるようになって、大きいお店だったので、段々と自分1人だけでお客様を対応出来ない時が増えていき、ひとりのお客様と接する時間が短くなり、ちゃんとお客様は満足してくれているのだろうか。。。と考えるようになりました。

さらにそんな中での、"新型コロナウイルス"の流行がありました。
緊急事態宣言が出されて、ご来店されるお客様も減っていく中で、お店も約2週間休業することに。
そこで、本当に自分がやりたい美容師像になれているのか。お客様がゆっくり周りを気にせずいられる環境がいいのではないか。などと考えることが増えました。

そして、わたしは当時勤めていた有名サロンを退職することを決め、毎日求人サイトを見るようになり、そこでINTIを見つけました。

INTI時代

coming soon


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