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スタッフ紹介

山本 蒼太

山本 蒼太
SOTA YAMAMOTO

ポジション アシスタント
血液型 B型
趣味 食べ歩き、温泉、旅行
自分の悩み 体型、童顔
自分にキャッチ
コピーをつけると
ミニマム
他のスタッフからの印象 聞き上手

幼少時代

大分県中津市に3人姉弟の真ん中として生まれ育ちました。
父は今でこそ穏やかになりましたが、幼いころはとても厳しく、よく怒られていました。
母は父とは正反対で、いつも優しく温厚で、怒られた記憶もあまりありません。
三人姉弟でみんな歳も近いので、中学生くらいまではケンカが絶えませんでした。姉と口げんかをした後は弟と取っ組み合いのケンカになったりと、
常にどちらかとケンカをしていました。今では歳が近い分、一緒にごはんに行ったり遊びに行ったり、友達のような感覚でとても仲はいいです。
地元は自然が多い所なので、よく川に遊びに行ってエビを獲ったり、夏休みにはまだ薄暗い中起きて、カブトムシや珍しい昆虫を採りに父と姉弟と
一緒に行ったりしていました。小さい頃はわりと活発で、ボール遊びや自転車など、外で遊ぶことが大好きでした。
その分、毎日のようにこけるので、手足をよく擦りむいていた記憶があります。同い年のいとこが近所に住んでいたので一緒に遊ぶこともあれば、
いたずらをして怒られることも多々ありました。

一番記憶に残っているのは、いたずらをして怒られ、押し入れに入れられたときに、ふすまを思いきり蹴って穴を開けてしまい、余計に父親を怒らせてしまい、近くの大きな川まで連れて行かれ号泣したことです。
そんなこともありましたが、家族で出掛けることもたくさんあり、休みのたびに遊びや旅行に連れて行ってくれ、いろんな経験をさせてくれました。
習い事もいくつかさせてもらい、ピアノと習字は6~7年ほど続けました。音楽は好きだったのですが、当時のピアノの先生がとても厳しく、練習もあまりしていなかったので、なかなか上達しませんでした。
習字は集中力との闘いですが、検定でどんどん上に行くのが楽しく、学校でも常に表彰されるようになっていました。
姉とは一つ違いで習い事も一緒だったので、比べられることも多く、負けず嫌いな自分はいつもライバル意識をしていました。自分が納得するまではとことん取り組んだり、変に頑固でこだわる部分はこの頃からあったんだと思います。

学生時代

姉や当時の先輩からの勧誘もあり、中学のときに吹奏楽部に入り、高校まで六年間続けました。最初は運動部に入るつもりでいましたが、
吹奏楽の生の演奏を聴き、特にパーカッションという打楽器のかっこよさに惹かれ、すぐに入部しました。
年に一度コンクールがあるのですが、当時は県内でも強い学校だったので、部員数も多ければ練習量もかなりありました。
文化部のイメージが強いですが、校庭を走ったり、腕立て伏せや腹筋、腹式呼吸の練習など、肉体的にもハードな部活でした。
コンクール前は朝練や昼休み練習、夜練習、合宿と忙しいながらも楽しく、中学三年時には副部長を任せられ、
大人数をまとめる大変さを思い知らされましたが、皆がまとまった時の力の大きさも感じ、とても良い経験でした。
中学生くらいから、段々と自分の外見を意識するようになり、ファッションや髪形に興味を持ち始めました。自分自身コンプレックスがあったため、
人にどう見られるのかを必要以上に気にしていました。特に髪形へのこだわりは強かったと思います。美容室にも行っていましたが、
もっとこうしてほしいというのがなかなか言えず、帰って自分で切ったりしていました。そうするうちに、
自分だけじゃなく友達の髪も切ってあげたりするようになり、少しづつ美容師という仕事に興味を持ち始めました。

しかし、明確に美容師になりたい!という思いはなく、高校も勉強が忙しかったため、とりあえず大学を目標にしていました。
無事に大学に合格し、上京が決まりました。元々東京に出たいという気持ちがあったため、すごくわくわくした気持ちだったのを覚えています。
大学生活が始まりましたが、なんとなくもやもやした気持ちがあり、ちょうどカットモデルとして行った美容室の美容師さんとの出会いもあり、
やっぱり美容師になりたいという思いが強くなり、大学を一年で中退し自分で探した東京の美容専門学校に通うことにしました。
専門学校の二年間はあっという間でした。生徒のほとんどが美容師という同じ目標を持っているので、実技や学科の試験も仲間同士で
切磋琢磨しながら過ごしました。アルバイトも夜の12時までしていたので忙しかったですが、無事に国家試験に合格し、
東京・埼玉に多店舗展開している美容室に就職が決まりました。

修業時代

入社前から新人研修がスタートし、シャンプーやブロー、カラーの塗布練習、ホイルワークなどの技術練習と、社会人としてのルールを先輩から教えて頂きました。
ただ、この研修は10日ほどだったのですが、朝から夜までぎっしりスケジュールが組まれており、講義ごとに一枚分のレポートを次の日に提出しなければならず、
夜疲れて帰ってからはすぐに5~6枚分のレポートを書き、なんとか完成させて翌日研修に行くというなかなかハードなものでした。レポートに関しても全員が提出できていなければ次に進めず、
連帯責任ということだったので、終わっていない同期のレポートを手伝ったり、中には研修中に過呼吸になる人もいたり、10日間の間に来なくなる人もいました。なんとか乗り切り美容師生活が始まり、
毎日の営業以外でも、ヘアショーやコンテストに出たり、2年目のときは海外研修でロンドンのヴィダルサスーンアカデミーで現地の方をモデルさんとしてカットさせて頂いたりと、
忙しいながらも充実した日々を過ごしました。しかし、アシスタントのお給料ではやはり生活が厳しく、電気代が払えずに帰宅すると真っ暗なんてことは何度もありました。
そういった経済的な事情もあり、最初のサロンは2年ほどで辞め地元に戻ることにしました。

地元に戻り、地域密着型のサロンに入り、まだアシスタントの状態だったので、まずはすぐにスタイリストにならなくてはと、集中して練習に取り組みました。
毎月・毎週・毎日の目標設定をし、先輩にも細かくアドバイスを頂きました。前のサロンで教わった部分とここで教わったものとで、上手く自分の中に取り入れていきました。
特に当時の店長は、技術面はもちろんですが、スタイリストになる上で、お客様を担当させていただくことの責任や、プロとしてお客様の悩みや希望にどう寄り添っていくのか
というのを何度も教えて頂き、何よりも自分自身のお客様に対する気持ちが大切だということを経験を通じて実感しました。

スタイリスト時代

スタイリストになり、アシスタント時代とは違う責任の重さを感じながら、デビューしたての頃は失敗も多く、そのたびに何が悪かったのかを反省し、次に生かせられるように考えていきました。
初めは、あの状態でお帰り頂いて大丈夫だったのか?次回もまたご来店して頂けるだろうか?という思いで、何よりも不安な気持ちが強かったです。
少しずつスタイリストとしての仕事にも慣れお客様からの喜びの言葉や表情を見るとやっててよかったなあ、と何度も思い、大変ながらも美容師の仕事の素晴らしさを感じるようになりました。
途中社内での店舗異動があったのですが、1時間以上もかけて異動先の店舗まで来て頂くお客様もいらっしゃり、「山本さんがいるからここまで来てるのよ。」という言葉には本当に有難く、感謝の気持ちでいっぱいでした。
そこのサロンでは、髪や体に良い無添加なものを扱ったり、特殊な技術で髪を元気にするような施術をしていました。その技術をする上でもまた新たな資格が必要で、社員全員で何度も講習を受け勉強し、自分は2度目の試験でやっと合格できました。

そういった勉強の中で、髪や頭皮をキレイで健康にしていくには、外側からと内側からのケアが必要だということを知り、食べ物や生活習慣の大切さをお客様にお伝えしていきました。
そして、今後の人生と美容師としての将来を考え始め、もう一度東京で頑張りたいという気持ちと、30歳での再スタートに不安な気持ちと、いろいろな思いがありましたが、勤めている会社の経営が変わることもあり、このタイミングでの上京を決めました。
コロナ禍ということもあり、いくつかのサロン様にはテレビ電話で話を聞かせて頂いたり、説明会に参加したりを繰り返し、就職先を探していました。
そのときにたまたま求人サイトに載っていたINTIを見つけ、ホームページを見て、明確なコンセプトや宮本さんの熱い思い、そして何よりもお客様の人生を変えてしまえるくらいの技術、そこに携わることができることに惹かれました。
すぐに地元から一番近い福岡店へ見学に行き、話を聞かせて頂きました。その日のうちに東京での面接が決まり、その後の面接を経て入社が決まりました。


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