スタッフ紹介

中村 敦夫

中村敦夫
ATSUO NAKAMURA

ポジション 薄毛Designer
血液型
趣味
自分の悩み
自分にキャッチ
コピーをつけると
他のスタッフからの印象

幼少時代

幼少時代1

大阪府出身。姉が2人の末っ子長男。 初の男の子ということもあり、家族みんなに甘やかされました。 幼少期の記憶はほとんどありませんが、写真で確認すると粘土で恐竜つくったり、ものをつくるのが好きだったみたいです。

幼少時代2

人見知りがあり、外ではとても大人しい性格だったと思います。人前にでるのも苦手でしたが、大人しいながらも真面目だったせいか、小学生の頃は学級代表を何度か任されておりました。 少食で食べ物の好き嫌いが多く、給食の時間が辛かったのを覚えています。当時は完食するまでお昼休みに遊びに行けなかったので、なかなか食べ切れない自分を責めたこともありました。 そんな偏食である私の日々の食事を考える母親は大変だったと思います。

学生時代

学生時代1

小学生の頃は5年の終わりまでサッカーのクラブチーム、6年の終わりまでそろばんを習っておりました。 そろばんは順調に昇級していましたが、中学生になるタイミング辞めて2級どまりでした。 サッカークラブは弱小チームでしたが、選抜に選ばれておりました。 自分は走り込みがキツすぎて何度ももどしてしまったり、性格上お友達をつくれず選抜チームには話し相手すらいませんでした。そして、6年になるときに辞めてしまいました。

そのサッカーチームに1人だけ特別上手なHくんという子がいました。大人になって気づいたのですが、テレビでサッカー観戦していると、見たことのある顔がガンバ大阪のユニフォームを来て試合に出場していたのです。その選手は共に走り込みをしていたH選手でした。 日本代表にも選ばれたことがあるとのことで、その時とても勇気や希望をもらったことを覚えています。

中学生になるとどんどん人見知りが激しくなり、女子とほぼ会話できなくなっておりました。男子しかいない卓球部に入り、チームプレーではなく1人でプレーする楽しみを覚えました。 副キャプテンを務めて卒業まで頑張りました。 中学2年の頃、いつも通っている散髪屋のお兄さんと仲良くお話しするようになり、そのお兄さんに憧れるようになりました。そして、自分もお兄さんと同じお仕事をしたいと考えるようになりました。 お兄さんにそのことを伝えると「これからは男性も美容室にいくようになるだろうから、美容師を目指してもいいかもしれないね」ってアドバイスを頂戴し、お兄さんと同じ専門学校の美容科に行くことをこの時に決めました。 美容専門学校にいくと決めた自分は高校はどこでもいいかなぁ?くらいの考えでした。2つ上の姉が楽しそうに高校生活をおくっているのを見て、自分も姉と同じ高校を受験することを決めました。 その時の自分の学力では厳しそうでしたので、必死に勉強し、なんとか担任の先生にその高校を受けることを承諾してもらい合格に至りました。

学生時代2

高校生活はバレーボールを3年間やりきり、副キャプテンを務めました。 決して強いチームではありませんでしたが、先輩達に恵まれて楽しいクラブ生活でした。 練習を続けていると先輩たちはもちろんのこと、自分達も上達していくのを実感し、日々の努力はとても大切なことなんだとクラブを通じて学びました。 厳しい練習の際に顔から倒れてしまい、前歯2本が真っ二つに折れてしまったことがあります。 しばらく歯抜け生活で差し歯になるのですが、このことをきっかけにどうしても歯列矯正をしたくなり、少しずつ貯金をするようになりました。 歯列矯正を始めるまでに年数がかかりましたが、塵も積もれば山となるということを学びました。

私服が可能な学校でしたので、アルバイトしたお金はほとんどファッション代に使い、残りを歯列矯正貯金にまわしてました。 バレーボール部の仲間以外にもおしゃれ好きな仲間もできました。 高校生活の中で特に時間を共に過ごしたヘヴィメタル好きでロン毛のバンドマンの友人がいました。彼は独創的な考えで、一緒にいるとワクワクする存在でした。 真面目で人見知りで大人しい私の殻を破ってくれた存在でした。

応援団に入り、人前に出る楽しさを教えてくれました。文化祭の後半にある後夜祭では、そのバンドに入れてもらいベースを担当し、その時のライブに来てくれてた学生達が楽しそうに聞いてくれてるのを見て、人を笑顔にする行動って自分にとってこんなに嬉しいことだということを学びました。 あっという間の3年間でした。

憧れのお兄さんと同じ美容専門学校に入学し希望がいっぱいでした。 とても厳しい学校で、朝の点呼は少しでも声が小さいと1人目からやり直し、抜き打ち持ち物検査、携帯など勉強に必要のないものが見つかるとその場で没収、解約までさせられます。地方から来てようが両親も呼び出しされます。掃除も先生の合格がもらえないとやり直しです。先生が通ると立ち止まって挨拶、何か荷物を持っていれば、「先生お待ちします!」などなど、あげればきりがないですが、社会ではそれ以上に厳しいでしょうし、当たり前のことを当たり前にできる為に先生方も心を鬼にしてご指導してくださったのだと今は感謝しております。

皆勤賞を狙って日々頑張っておりましたが、1年生の秋、「肺気胸」という肺が破れてしまう病気になり、初めて入院することになりました。 身体に管が通っておりましたが、毎日自宅で練習していた日課を続けたくて、母親に道具を持ってきてもらい、病室でも練習していたことを覚えています。お見舞いに来てくださった先生方は呆れてました笑

修行時代

大阪市内にその当時3店舗あった美容室に入社し、18人同期がいる中、入社式の新卒代表挨拶をさせていただきました。 専門学校に同じ会社に入る同期がいましたので、何度も練習につきあってもらい、自分よりもそれを聞かされている友人のほうが覚えてしまう程でした笑。 1カ月研修期間があり、学生と社会人の違いや接客など教えていただき、夕方からはサロンワークのお手伝いをしていました。自分は本店に配属され、先輩方や同期はみなさん優れた方ばかりでついていくのが必死でした。夜遅くまで、休みの前日は朝まで練習に励んだ時もありました。

そんな中、入社した年の冬に「肺気胸」が再発してしまいます。 再発するようなら手術したほうがよいと医師から言われておりましたので、会社を休ませてもらい全身麻酔で手術をしました。無事退院をしましたが療養がまだ必要で退社させていただきました。 カラー剤やパーマ剤の刺激臭が肺に悪影響があるという医師もおられて、この頃美容師を辞めようと考えたことがありました。

スタイリスト時代

スタイリスト時代1

体力も気力も戻ってきた頃、やはり美容師を諦めきれず、個人店のオープニングスタッフとして働かせてもらうことになりました。忙しい毎日の中、営業後にモデルさんをこなし、23歳のときにスタイリストデビューをさせていただきました。その後、2店舗目を出店することになり。新店舗を24歳で任されることになりました。自分はまだまだ未熟でしたが、スタッフ教育も携わらせていただきました。

26歳になり歩合制のお店で自分を試してみたくなり、歩合制の美容室に入社致しました。 その会社の2店舗目のオープニングスタッフとして入社致しました。 集客は会社が頑張ってくれて、たくさんのお客様を担当させていただきました。

28歳の時には3店舗オープン。その店を任されるようになりました。 そして、私自身の結婚を機に独立をする31歳の頃には大阪市内に5店舗に発展しておりました。 2012年に大阪市内で独立開業致しました。 ポスティングやSNSやホームページ、美容媒体などで集客をして、少しずつ軌道に乗っていきました。

2014年、近くに立地条件のよい店舗付き住宅を見つけて移転しました。 通勤時間を減らせたことで、より多くのお客様を担当できるようになったのと、固定費を減らせたことで遠くのセミナーや自分磨きに資金を使えるようになりました。

2015年、ふと鏡を見るとおでこが広くなったように思えました。AGAが始まったのか?父が薄毛だったこともあり、ずっと心配だったことが現実になったのだと絶望しました。 それからは気になって眠れないくらい悩みました。抜け毛が増えたような気がして毎日のシャンプーが怖くなりました。 サプリメントや外用薬や食生活の改善、いろいろ対策しましたが、それでも悩みは解消できず自毛植毛と薬物治療に行き着いたのです。

2015年6月、1度目の植毛(FUE)を機にフィナステリドとミノキシジルタブレットの服用をスタートさせました。 幸いなことに初期脱毛を感じることなく、抜け毛も全く気にならなくなりましたが、もう少し生え際のラインと密度を整えたくて2016年11月、2回目の植毛(FUT)を受けました。 大満足の仕上がりで現在も維持をできております。 2回の植毛のことを5年間ブログに綴り、同じように薄毛に悩む方が月に2.3人お越しくださるようになりました。 週刊SPAに一度取り上げていただけました。

2012年の独立から12年半経った2024年11月頃からこのままでよいのか? もっとチャレンジしなくてよいのか? もっと美容師としてレベルアップしなければならないのではないか?って強く感じるようになったのです。

そして、一人が好きでマンツーマンサロンを営んでいた私が仲間が欲しくなったのです。 いろいろ調べてるうちに薄毛に特化されてるINTIを知りました。 新しいチャレンジをしたいと考えている時に創立10周年パーティーのYouTubeで特別表彰さてるのをみました。その時に宮本社長がこうおっしゃってました。「5歳以上のお子様がいるスタッフを選び、親が表彰されてる姿をしっかり見てほしかった。5歳にもなればうっすらとでも記憶に残るだろう」と。 私には6年生と3年生の子供がいます。 こんな素敵なことを考えてくれるトップはなかなかいないだろうと感銘を受けて一旦自分を壊して挑戦してみようと面接に踏み切りました。 そして東京研修の準備を進めて参りました。

INTI時代

関東圏にある渋谷本店、東京店、新宿店、横浜店の4店舗をまわり研修させていただき、毎日が刺激的であっという間に一日一日が過ぎていきます。 入社して一番に思ったことは、スタッフの人柄の良さでした。志の高い従業員ばかりだろうと入社前から感じていましたが、志が高いだけでなく人間性の高さにビックリしました。

自分の至らなさに落ち込む時もありますが、カッコ悪い先にしかカッコいいはない!と思います。 これまで何者でもなかった私が、一流の皆さん、一流の美容師を目指すみなさんと、見たことのない景色を共に見れるように必死についていき、最高の美容師人生にしたいと思っております。 日々の生活から思いやりのある行動や言動を習慣にしたいと感じております。

精一杯努めてまいりますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。 最後までご覧くださりありがとうございました。

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