スタッフ紹介

佐野 友美

佐野 友美
YUMI SANO

ポジション INTI 渋谷 Designer
血液型 AB型
趣味 カフェ巡り・インテリア雑貨
自分の悩み 運動音痴な所
自分にキャッチ
コピーをつけると
サバサバ女子
他のスタッフからの印象 天然

幼少時代

佐野幼少時代1

千葉県松戸市出身、3人兄弟の末っ子として産まれ育ちました。ごくごく普通の家庭で育ちましたが姉と兄が年子、私だけ9つ離れて産まれたので年の差兄弟でした。何かあれば兄弟がいつも近くで支えてくれていたので色々甘やかされてきたと思います。いわゆる末っ子体質と言うやつです。

特に兄は可愛がってくれていつも遊んでくれてました。メンズばりに夕方にキャッチボールをよく家の前でやりましたね。たまにスパルタで球の速さにビックリしてましたが、、、笑
私の誕生日にはシルバニアファミリー(おままごとのぬいぐるみ)を当時高校生の兄が恥ずかしい思いをして買いに行ってくれたりしてました。優しい兄です。
姉も土日には都内に電車でよく連れ出してくれてショッピングをよく2人で行きました。年明けは必ずセールに一緒に行って沢山回っていましたね!いい思い出です。

松田幼少時代2

私は幼少時代から割と美に対しての関心が強く、物心ついた頃から父親の短い髪を結んで遊んだり母が身支度のメイクを始めればじーっと見つめながらファンデーションの塗り方のマネをしてました。勝手に母の口紅をこっそり塗って唇がヒリヒリしてビックリなんて事も日時茶飯事でした笑
ファッションに関しても離れた兄弟の影響でか大好きでした。姉の部屋に入っては勝手にファッションショーを開催してましたし、ネイルも勝手に使ってみたり、、のちにバレてしっかり怒られてます。。笑
とんだおませ女子でした。笑

美容以外で大好きな事と言えばもう一つ、絵を描く事でした。幼い頃からチラシや紙を見つけては夢中になって書いていましたね。よく部屋にこもって満足するまで何時間でも描いていた記憶があります。学校のテストが終わると、余った時間で問題用事の裏側にラクガキしてしまう程でした。

学校では図工と美術の時間が大好きで、勉強よりもだいぶ比重を置いてしまってました。
今となってはもっと勉強しておけば良かったと強く思います。後悔先に立たずですね。
でも本当に幼い頃から芸術や美容が大好きでした。

学生時代

佐野学生時代1

中学時代はファッション雑誌CUTIEやzipperにハマり、古着やデニムスタイルに影響されよくリメイクなんかも自分でしていました。生地を選んで縫い合わせてみたり、ボタンを変えてみたり、ポーチを作ってみたり。。部屋も可愛くしたくて色々と雑貨屋さん巡りしたり制作意欲がとまらなかったです笑
学校生活ではソフトボール部に入部したものの、友達に誘われて何も考えずに初めてしまった為ルールもよく知らないまま入部し、てんやわんや。何より運動が苦手だった為一年足らずで退部。。本当に情け無いです。。

そんな中この頃から、髪に対してのコンプレックスが出始めます。くせ毛で広がりやすい髪質だった為、結んでもうまく毛先がまとまらなかったりで梅雨時期は本当に憂鬱でした。プールの授業なんて最悪。。ドライヤーなしで広がり放題、本当に嫌でした。くせ毛の人と、ストレートの人が本来髪質が違うのもよく理解していなかったので、ドラッグストアにあるくせ毛専用のスタイリング剤を手に取り、これを使えばサラサラになるのではと本気で信じていました笑
今思い返してみても面白いです。あまりに悩んでいたので両親が見かねてストレートパーマをかけさせてくれました。嬉しくて嬉しくて、ずーっと髪を撫でてました。涙が出るほどの感動でした。コンプレックスが解消する事が出来るストレートパーマという技術は本当にすごいなぁと心から思いました。それと同時にこんなに人に感動を与えられる仕事があるんだなと気付かされました。髪の毛を綺麗にしてあげる事で嬉しい気分になることはもちろん性格をも明るくできる、そんな美容師さんに対して憧れが芽生えました。

佐野学生時代2

高校では仲が良かった友達の影響でいつの間にかすっかりギャル仕様になっていました。エクステ、濃いめメイク、短いスカートにルーズソックス。。毎日学校が終わった後はみんなでカラオケに行ってプリクラ撮って、学生生活を謳歌していました。
ストレートアイロンは常に持ち歩いていつ何時クセがでても治せるようにスタンバイしていました。とにかくストレート命で朝の身支度に時間がかかっていました。直毛の子が羨ましくてならなかったです。髪質が良くないぶん、アレンジして結んだり巻いたりして一生懸命頑張ってました。

そんな中ついに進路を考えるタイミングが来ました。仕事に就くなら何がいいだろう?
自分のルーツはやっぱり美容関係。そして自分も感動を与える美容師を目指したい。
ヘアもメイクもファッションもトータルで学べる美容師を選びました。

修行時代

佐野修行時代1

そこからは怒涛のアシスタント生活。覚悟はしていたが本当にしんどい。同期は4人いて本当に今でも仲が良い大切な仲間ですが当時はみんな疲れ切っていました。毎日朝1番にサロンに行き、鍵開けから掃除、雑務、営業中は一日中立ちっぱなしでひたすらシャンプー。営業終われば、すぐ練習、、帰りは毎日終電でした。終電逃す事もよくある事でした。定休日は基本サロンに来て練習。。の毎日。家の家事なんて全然回るはずもなくぐちゃぐちゃ。笑
お金もない為ご飯は塩ごはんのみでおかずなし。
月に何回か実家に帰ってご飯食べに行ってました。。笑

初任給はウィッグやハサミの出費に消え本当によく耐えてきたなと思います笑
あんなにオシャレが大好きだったのにファッションやメイクにお金をかける金銭的な余裕も無くなんで美容師やりたかったんだっけ?と思う始末。。この頃が1番辛かったです。シャンプーから何から不器用だった私はシャンプー入客するのも1番最後でした。
毎日指導を受け自信を無くす毎日。あんなに美容が好きだったのに、私向いてないのかな、なんて弱気な事を考えてしまっていました。

スタイリスト時代

疲れて帰った夜、母が私の仕事中に1人暮らしの部屋に来てくれ、掃除、洗濯、ピッカピカにしてくれていました。冷蔵庫を空けると作り置きや私の大好物がぎっしりいっぱい詰まっていました。置き手紙をみて私は部屋で1人大泣きしました。こんなに好きで初めた仕事なのに毎日しんどい。身体は限界をむかえていたのです。

そんな時支えになったのは間違いなく家族の存在でした。
絶対一人前になって両親に恩返しするんだ。デビューした姿を見せたい。
今ここで辞めたら、今まで頑張ってきた意味がない。そう奮い立たせて今日まで頑張ってこれました。沢山指導を受けて毎日泣いていましたが笑
負けない、絶対見返してやる。絶対結果出す!
悔しい気持ちをバネにすべてを万骨心に変えることでエネルギーにしていました。

スタイリスト時代

佐野タイリスト時代

美容師3年目あたりから社長の専属アシスタントを務め色々な経験をさせていただき、やっとの思いでスタイリストデビュー。
毎日朝、営業中、営業後にモデルで練習し、やっとやっとスタートラインに。本当に長かったです。デビューしてからはTV出演、ヘアメイク、雑誌撮影、セミナーの講師などなど沢山の経験をしました。
初めて名前と顔が載ったヘアカタログや雑誌arは本当に嬉しく、発売日に書店に行って買ったのが最近の事のようです。それ以降また撮影の依頼がいつ来ても大丈夫なように撮影は毎月欠かさずしていたので、本当に今の自分の力になっていると思います。
元々不器用ですし最初から順風満帆とはいきませんでしたが沢山の方のサポートのおかげでいつしか沢山のお客様を担当させて頂けるようになりました。
お客様に頂けるお言葉や笑顔で毎日やりがいも感じていました。初めて感謝のお手紙を頂いた時は本当に涙が出るほど嬉しかったです。
まだまだではありますが昔から目標としていた感動を与える美容師に少しでも近づけてるのかな、と嬉しかったです。

佐野タイリスト時代2

デビューして3年ほどでトップスタイリストに昇格しますます忙しくなりました。後輩も増え、責任も増えていきました。沢山のお客様が自分を指名してくれる事にとても嬉しかったですし、もっと期待に応えたいと毎日葛藤していました。

それと同時に忙しくなるにつれて前よりも自分が施術する時間が短くなってしまったりお待たせする時間が長くなったりと、複雑な気持ちにもなりました。自分に会いに来てくださるお客様に対して申し訳ないなと感じる事も多々ありました。
プライベートでは30代に入り結婚、出産を経験し一児の母になりました。今までみたくフルタイムでは働けなくなり出勤日数も限られるように。

就職してから17年間ずっと突っ走ってきたので出産を機に色々と考える時間が増え始めました。
17年間トレンドを追いながら撮影やヘアメイクなど様々な経験をさせていただきました。
お客様と共に年齢を重ね、自分も30代半ばになり
お客様の髪のお悩みも変わっていきました。
そんなとき、色々調べていく中で美容室INTIのお店を知りました。

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